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今調べたらHSCっていうのもあるのね。あ、もしかしたら最近誰かのお子さんの話でこれ、耳にしてたかもと思い出した。
カミさんが自分のことを調べていて見つけた言葉で、それに関する講習会みたいなものに参加して来た話を聞いた。
僕はHSPではなかったけど、HSSというのは結構似た傾向があるみたいだった。まぁ、簡単に言うと、一般的な人よりもいろいろなことが気になる人ってことかな。
話を聞いて、僕は自分のその傾向は後天的なものだと思った(あ、その講座で先天的とか後天的という話があったかどうかは知らないんだけど)。何故って思い当たることがあったから。僕が子供の頃どういう子供だったかと何故そうなったのかが、今の僕の基のかなり多くを占めるから。
これ、本当はちょっと寂しい話なんだけど、僕はこれのおかげで今結構楽しく、そしていろいろな人から助けてもらえる人生を送れていると思うのね(人生どこで何がどう作用するか分からないところが楽しいのかも)。気がつくように自分で訓練したんだよね。きっと。それができると僕には僕にしか分からなかったかもしれないけど報酬があったのだと思う。僕はそれをどこかで楽天的に捉え直すことができるようになったから(10歳の時に通った禅寺で)、HSSみたいな特徴を獲得したのかもしれないのだけど、過敏なことが辛くなっちゃうと大変だなと思いながらカミさんの話を聞いてた。
結局、今日聞いた結論は、自分がそうだと気がつくことで、自分を客観視できて、それができると、自分の持ち味としてHSPを再定義できるし、それを世の中のために役立てることができる、という講習だったってことだったのだけど、そりゃそうだよね。まぁ、何だってそうなのだけど、目の前にあるものを漠然と不穏なものとして捉えて不安な気持ちになるよりも、きちんと自分の中で再定義して、そのうえでそれを活かして何ができるか考えたほうが力になるよね。
症状に名前がついたから安心、ということではなくて、名前があると気が付きやすくなって対処がしやすくなるからって思うといいのかしら。知らんけど。
まぁ、多かれ少なかれ人はそれぞれ偏りがあって、それによって多様性が生まれているのがから、自分の偏りを愛して生きていくことと、他の人の偏りも愛することができると良いのだと思うよ。
HSS上等。

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