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厳密には悲観的な考えの反対と定義したほうがいいかもしれないのだけど、人生においては悲観的な考えも楽観的な考えも、そこで何らかの結論を出したつもりになって思考を止めてしまうため、同じ結果を引き起こす。
これらの反対は何かというと考え続けることなのだけど、今日マスターが話していたのを聞いて思ったのは、直観だ。直接見て事実を見極めること。観察を続けて少しの変化も見逃さないことが、悲観と楽観に陥らないための手段じゃないかと思った。

酷い状況に陥ったとき、誰でも凹むし、悲観的な考えに浸ってしまうのは仕方がないことだと思う。僕だったそうなる。ただ、そこから抜け出そうと思ったときにすることが、なんとかなるさと思うことでは、何ともならないことのほうが多い。これは僕の経験上(恥)の話も含めて。
感情的になりがちな状況こそ、感情をできるだけ排除してその状況を受け入れた上で、何ができるかってことに考えを巡らせること。

書いてて思ったのだけど、これって禅じゃない?
あるがままなりって言葉を臨済宗の寺で教わったのは、10歳くらいのこと。その言葉を教えてもらってから僕は自己肯定感を持って自覚的に生きることを思えた気がするのだけど、あるがままという言葉の定義は大人になるに従って様々な意味があることに都度気付かされてきた。
今回もそう。あるがままはそのままただそこに居続けるってことだけじゃないなと思った。んー。面白い。

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