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この記事を見て他人事には思えず(僕は同じことはしないけど)、なんでそうなっちゃうのかってことを改めて考えてみた。
インスタグラムの成り立ちは分からないので、僕の主観でしかないのだけど、写真を共有するモチベーションは共感だと思った。綺麗な景色や思いもせず素晴らしい風景を見ると、それを誰かと共有したいとか、あるいはそれを見せてくれた人に対して共感(いいねっていうか、ハート)する…っていうのがスタートのような気がしてるんだよね。あるいはそれを理想の姿と言い換えても良いんだけど、現実はそうじゃなくて評価をもらうと、もっともらいたくなったり、その他のこと例えば、フォロワーを増やして手っ取り早くお金を稼ぐとかそんな「写真を撮って共感を」からどんどん離れているのが今のインスタグラムじゃないかと思うんだよね。人の欲望には限りがない。
人と違う風景とか、同じ場所でももっと良い(と勝手に本人が思ってるだけ)景色を自分は撮らないといけない的な無駄な使命感に燃えちゃう人が出てくるのは、僕には分かる。自分でもそういう誘惑を感じるって意味で。なんか、いいね的な評価がつくとやっぱり嬉しくて、どうしたら増えるだろうとか考えないかというと、そりゃ考えるもの(笑)だから、それ自体は悪いことではなく、仕方ないと思ってる。人の欲望には限りがない。
この記事にもあるように、哲学の木が切り倒されたとき、僕も思うところが多少あった。いつだったか僕も行ったことがあったからね。その頃は観光案内にの雑誌の片隅にちょこっと掲載されているくらい。写真だって撮ってこなかったと思う。誰に見せるわけでもないから。でもその時、自慢(はっきりいってこういうのは共感じゃない)できる場所があったら、自慢したかもしれないかなと思うんだよね。
あー、書いていて整理できたけど、結局自慢なんだな。自慢を共感って言い換えてるだけだ。そう簡単に行けない場所に行った自慢。まぁ、そこそこ簡単に行ける場所では、その場所を人とは違う(と本人が思っている)景色として切り取ってるという自慢。変な格好をするとか(苦笑)。で、自身の成功(成功だけがモチベーションではないかもしれないけど)のバロメータはいいね(ハート)の数だったり、今日増えたフォロワーの数だったりするんじゃないかって思った。
何というか、風景も料理も何でもかんでも、それ自体を楽しむより、それをしている自分を自慢することが楽しくなっちゃったらお終いだよね。本質から遠ざかっていく。
まぁ、もっと言えば、写真なんか撮ってないでそこに居ることを楽しめよってことかもしれないんだけど、それはまぁ、写真撮りとしてはバランスではないでしょうかとお茶をゴニョゴニョしちゃうわな。
共感と承認欲求のどちらに偏ってるかっていうのは中々渦中では判断しにくいんだよね。だって、本人夢中だから(苦笑)
僕としては、自分の身勝手な承認欲求のためにもともとある風景を壊すというのは本末転倒というかやっぱり間違ってんじゃないのって、そんなとこかな。
気をつけよう。自戒を込めて。

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