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2月末にウクライナに行ってきました。
僕が監事として関わっている一般社団法人 戦災復興支援センターの活動の一環で、ポーランド国境にあるベースからウクライナの避難者を支援しているABWのボランティアとして。
今回、僕の目的は現場に関わることと、メンバーとコミュニケーションをとって、より良い形の支援について考えることでした。
現地へは1週間程度の短い滞在でしたが、そこに集まったほば全員が同様のタイトなスケジュールだったということを行ってから知りました。
イギリス、アメリカ、カナダから(?)集まったスタッフ達と、僕達のようにウクライナの活動を支援しているフィンランドから来たグループ。
この1週間ギュッと詰めて現地で活動した後は、またそれぞれの国へ帰っていくという感じ。
ポーランド国内に留まるスタッフも数名居るということだったけどこれだけの人が集まるというのは貴重な機会だったようです(詳しくは分からない)。
数日間、毎日ポーランド国境の街、ジェシュフからウクライナに入り、リビウ周辺の地域まで物資を配って戻ってくるのに同行して、作業を手伝い、撮影もしてきたのだけど、日常の風景に戦争の影を見ることは稀でした。
ただ、ウクライナ国境には義勇軍志願者を募る窓口があり、その至近に受け入れた志願兵が一時的に駐留する施設があったり、スーパーでシェルター支援のための食料品や日用品を買っている途中、空襲警報が鳴ったこともありました。
あと、リビウからの帰りにパトカーに先導され、戦地に向かう車列に行き合ったことも。
ここは戦時下の国なんだと実感させられた体験でした。
ロシアがウクライナに攻め入ってから3年になるというのに解決の目処は全く立っておらず、ウクライナを支援しているポーランド国内でも支援に起因する社会問題が発生していました。
今はそうした複雑な環境なんだということをリアルに感じることができたのは大きな収穫でした。
大きな目的であったコミュニケーションは、若干ぎこちなかった(僕だけか)初日以外は全く問題なく、帰るまでには僕の中で支援に対する軸が定まったのは非常に良かったと思っています。
こんな感情は久しぶりだったのだけど、別れが寂しかった。
色々と思うことはまた増えて、次の機会はどうするかという選択が目の前に来たら、多分また行くんだろうなと感じています。
願わくは、早くこの戦禍の終わらんことを。

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