Ukraine in early autumn 2024 Part3

この写真は、2024年晩夏から初秋にかけて行われたActions Beyond Words (ABW)の2つのミッションの記録だ。
僕は、ボランティアスタッフとして、そして彼らの友人としてそのミッションに参加した。
そこで撮ってきた写真を公開するのは、ウクライナの今と、そこで様々な支援活動をしている人達、そして、その支援活動を支えるABWについて紹介することを目的としている。
2022年2月24日に突然始まったロシアの軍事侵攻。それを知った時のことを僕は既に曖昧なイメージでしか思い出せなくなっていた。
その後も世界中で様々な酷い出来事がいくつも起こったし、日本でも大きな災害が起きたりした。
僕だけでなく、ウクライナの終わりの見えない戦闘状況も相まって、世界の人々がウクライナの人達へ寄り添う気持ちを減らしてしまったように感じる。
少しでも多くの人に再びウクライナへの関心を持ってもらえたら、ロシアがウクライナから一日も早く出ていくことを願う人が一人でも多く増えてくれたらと願っている。

Part3
戦禍のウクライナは、前線から離れると戦争の中にあって平和な暮らしが営まれている。
ただ、それは、前線に立つさまざまな人たちの犠牲によるものかもしれない。
朝靄の立つ湖沿いにあるホテルに宿泊した時、幻想的でとても美しい景色を前に、サイモンが言った言葉が僕の印象に残っている。
「この美しい景色を見ると考えることがあるんだ。明日、ここにロシアからミサイルが撃ち込まれたらどうなってしまうんだろうと。
 ウクライナはそういう場所だ。こうした美しい場所にロシアはこれまで何発もミサイルを打ち込んでいる。
 今、ここにミサイルが落ちていないというだけなんだ。」
場所によっては、1日に何度も空襲警報鳴る所もあるが、そこに暮らす人々はあまりそれを気にしているように見えなかった。僕もミサイル攻撃の場に居合わせることは一度もなかった。
でも、毎日、ミサイル警報アプリєППОでは着弾したミサイルの情報がたくさんアップされているし、ハルキウでは僕達が街を出た次の日にビルにミサイルが撃ち込まれていた。
平和な暮らしと戦争が同居する国。
そして今回の旅では色々な場面で軍属の人に会った。彼らは家族や友人、もしかしたら恋人と共に束の間の休みを過ごしている。僕は彼らの安全を願わずにはいられなかった。
Слава Україні! と Be Safe. の言葉の重さは等しくあってもらいたい。

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