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若き世代に語る日中戦争 (文春新書)
伊藤 桂一著

大学生になったばかりの頃、広島について(あるいは第二次世界大戦について)文章を書かなければならないことがあったこと、その時に求められた文章のオチがたまらなく嫌で、見せかけの反省や嘘の謝罪よりも事実を、と書いて顰蹙を買ったことを思い出した。
でも、その当時から変わらず、僕はいつも事実を知りたいと思っている。
真実はその言葉のニュアンスから思い浮かべることとは遠く隔たっている。ちゃんと説明すると長くなるので、詳しくは別の機会に譲るとして、真実は人が互いに合意した、じゃぁ、これを真実としましょう、というだけのことなので、合意された時点のパワーバランスによっていくらでも歪曲(大人としては、調整か)が可能だが、事実は曲げようがない。
その事実をどう解釈かということは人に委ねられるとしても、事実だけは一つだ。

そういう意味において、ここに書かれていることは戦争に従事された先達の語る事実の集積だ。
戦争に従事した軍人、兵隊だけでなく戦場の女性たちの話、従軍看護婦や従軍慰安婦の話。事実が淡々と書かれていたのが良かった。
軍人勅諭と戦陣訓の違いや慰問袋と恤兵品の違いの説明は、当時の人達の気持ちが現代の我々にも分かるように説明されている。

また、南京事件の説明も非常に納得出来るものだった。南京大虐殺紀念館についての一文が全てを表している。
「僕は南京の大虐殺記念館はしっかり見てきましたが、中国側のいじましいやり方には、あきれるよりも、これが大国のやりかたなのかなあと、正直、わびしい思いもしたものでした」
僕は事実が知りたい。

当時の中国の状況、国民党、共産党と日本軍の関係なども分かりやすく説明されている。なぜ臺灣に我々がシンパシーを感じ、臺灣の人達が我々日本人を大事に思ってくれているのかが理解できると思う。
ただ、意外だったのが、
「八路軍(共産党軍)の兵隊たちにしても、殺した日本軍兵士を埋葬してちゃんと敬礼していくんです」
という一文。戦争は個人の戦いなのではなく、国同士の戦いだということをお互い理解しあえていたのか。

そして、後半の二つの文章、
「戦勝国アメリカが圧倒的な権力をもって、あそこまでの上手な-もちろん悪い意味で、ですが-戦後処理をするとは思わなかった。国を思い、一生懸命任務を果たした人々の思いまで、全て否定しつくしてしまった」
「結局、何のために兵隊たちは戦ったのか(中略)兵隊たちが戦ったのは、一言でいえば、民族の一単位としての誇りからです」
これ、どう考える?
帯に書かれている「日本はダメな国ではないことを、僕は若者たちに伝えたい」という一文と共に自分でも考えたいし、娘にも伝える義務があると、僕は思った。

【読んでみること】
水の琴
死線の彼方へ
雲と植物の世界
軍人たちの伝統ーかかる軍人ありき
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