20160706_「毒になる親」感想
毒になる親 一生苦しむ子供
スーザン・フォワード著、玉置 悟訳 講談社+α文庫
先日参加したビジネス向けセミナーで紹介されていた本。
正直読むのが怖かった。
自分と親の関係もそうだけど、自分とムスメの関係に間違っているところがあったらどうしようと思ったから。
自分の親との関係は確実に自分とムスメとの関係に影響をおよぼすだろうと僕は考えていたので。
結果として、どちらに対しても僕はそれほど極端な関係でないことが分かって若干安心したのだけど、やはり良くない関係の連鎖については言及があった。
当然だよね。
それとこれ、
「人間の感情、特に『怒り』のようなネガティブな感情が、どのようにして連鎖的に伝播していくかを単純化して描いてみよう。ある男が職場で上司からどなられる。身の安全のためには当然どなり返すことはできない。彼は持って行き場のない腹立たしさを抱えたまま帰宅し、妻に当たり散らす。するとその妻は子供にわめきたてる。子供は犬を蹴飛ばす。犬は猫にかみつく。」
まさにこれ。僕はこれをなんとかしたくて社会人教育をしようと思ったのだった。
当初社会人教育よりも子供たちの教育に僕は携わりたかった。でも、社会人のコミュニケーションに関わる研修を作る会社と仕事をすることになったので、どうしたらそれが子供たちの役に立つのか僕なりに考えたことがこれと全く同じことで、職場で上司が部下を怒鳴る状況を解決すれば、あるいは、部下が上司に上手く関われる環境を作ることができれば、父親は家庭に帰って母親と正しくコミュニケーションできるようになるのではないか。そうすれば、母親は子供に...という循環が作れるのではないかというのが、社会人教育に携わろうと決めた理由だった。
僕は心理学者ではないので、個人のその先までは踏み込めないけれど、個々人の置かれている環境を作ることには貢献できるのではないかと思ったのだった。
ちょっと話がそれたけど、そこが一番印象に残った。
また、上記の連鎖が起きてしまいがちな理由として挙げられている
「とにかく人間は、ネガティブな感情を本来向けなければならない対象からそらせ、より容易なターゲットに向けてしまいやすい」
特にこれについては常に自覚的であること、常に自分の感情を意識をすること、を注意しようと思った。自分でもきっと無自覚にやってる。
そして、これはもう僕にとっては過去の出来事だけど、
「何事でも人を自分と比較し、自分のほうが優れていないと気がすまない人がいる。こういう人は、相手に能力のかける点を思い知らせることによってでしか、自分に能力があると感じることができない。」
という文は、これそのままを体現している人物が思い浮かんだ。どうしてそうなってしまったかの理由も、
「子供時代に物が不足していたり、彼ら自身の親がやはりそのような人間だったために愛情を与えられなかった犠牲者であることが多い。」
と、僕が考えていた通りだった。多分、僕も色々と知識を得る中でこういう話を多く聞いたりしたのだと思う。その時の僕の状況は、大袈裟に言うと、共依存でこういう親に虐げられていた子供と同じだった。
結果としてその人物とは完全に縁を切って今に至るのだけど、彼のことをどうにかしてあげたいなどというのは思い上がった甘い考えだった。
自分は決してそれをしないと思い至ったことと、そういう考え方をちゃんと守って自立しようと考えられたことが僕にとっては大きな教訓になった。
また話がそれた。でも、こんな感じで読んでいて色々なことが思い出され、考えさせられた本だった。
スーザン・フォワード著、玉置 悟訳 講談社+α文庫
先日参加したビジネス向けセミナーで紹介されていた本。
正直読むのが怖かった。
自分と親の関係もそうだけど、自分とムスメの関係に間違っているところがあったらどうしようと思ったから。
自分の親との関係は確実に自分とムスメとの関係に影響をおよぼすだろうと僕は考えていたので。
結果として、どちらに対しても僕はそれほど極端な関係でないことが分かって若干安心したのだけど、やはり良くない関係の連鎖については言及があった。
当然だよね。
それとこれ、
「人間の感情、特に『怒り』のようなネガティブな感情が、どのようにして連鎖的に伝播していくかを単純化して描いてみよう。ある男が職場で上司からどなられる。身の安全のためには当然どなり返すことはできない。彼は持って行き場のない腹立たしさを抱えたまま帰宅し、妻に当たり散らす。するとその妻は子供にわめきたてる。子供は犬を蹴飛ばす。犬は猫にかみつく。」
まさにこれ。僕はこれをなんとかしたくて社会人教育をしようと思ったのだった。
当初社会人教育よりも子供たちの教育に僕は携わりたかった。でも、社会人のコミュニケーションに関わる研修を作る会社と仕事をすることになったので、どうしたらそれが子供たちの役に立つのか僕なりに考えたことがこれと全く同じことで、職場で上司が部下を怒鳴る状況を解決すれば、あるいは、部下が上司に上手く関われる環境を作ることができれば、父親は家庭に帰って母親と正しくコミュニケーションできるようになるのではないか。そうすれば、母親は子供に...という循環が作れるのではないかというのが、社会人教育に携わろうと決めた理由だった。
僕は心理学者ではないので、個人のその先までは踏み込めないけれど、個々人の置かれている環境を作ることには貢献できるのではないかと思ったのだった。
ちょっと話がそれたけど、そこが一番印象に残った。
また、上記の連鎖が起きてしまいがちな理由として挙げられている
「とにかく人間は、ネガティブな感情を本来向けなければならない対象からそらせ、より容易なターゲットに向けてしまいやすい」
特にこれについては常に自覚的であること、常に自分の感情を意識をすること、を注意しようと思った。自分でもきっと無自覚にやってる。
そして、これはもう僕にとっては過去の出来事だけど、
「何事でも人を自分と比較し、自分のほうが優れていないと気がすまない人がいる。こういう人は、相手に能力のかける点を思い知らせることによってでしか、自分に能力があると感じることができない。」
という文は、これそのままを体現している人物が思い浮かんだ。どうしてそうなってしまったかの理由も、
「子供時代に物が不足していたり、彼ら自身の親がやはりそのような人間だったために愛情を与えられなかった犠牲者であることが多い。」
と、僕が考えていた通りだった。多分、僕も色々と知識を得る中でこういう話を多く聞いたりしたのだと思う。その時の僕の状況は、大袈裟に言うと、共依存でこういう親に虐げられていた子供と同じだった。
結果としてその人物とは完全に縁を切って今に至るのだけど、彼のことをどうにかしてあげたいなどというのは思い上がった甘い考えだった。
自分は決してそれをしないと思い至ったことと、そういう考え方をちゃんと守って自立しようと考えられたことが僕にとっては大きな教訓になった。
また話がそれた。でも、こんな感じで読んでいて色々なことが思い出され、考えさせられた本だった。