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最後にもう一つだけ、一昨日の続き。
地域の期待を受け、光に満ちた希望の施設として設立されたやまゆり園が、何故ただの入れ物、あまつさえ虐待が疑われるような残念な施設になってしまったのか。

僕は、福祉に携わる人達の中に一定数存在する、弱い人を助ける自分の仕事(或いは自分自身)は尊いと考える人達、或いは、福祉事業の助成金や補助金で労せず利益率の高い事業を運営したいと考える人達が及ぼす影響が大きいと考えてる。
どのくらいの割合でそういう人が居るのかは分からないけど、僕はどちらの陣営の人達にも会ったことがあるから、必ず居るってことは知ってる。

弱い人を助けたい人達は、自分達が関わっている仕事が尊すぎて、仕事の合理化や改善について思いを巡らせることは少なく、或いは、本人たちが良かれと思って始める独自の改善策に拘泥し、外部(同じ社内でも部が違うとかも含めて)からの意見を極端に嫌がる。曰く、現場が分かってない人に言われたくない、と。
施設内で独自のルール(不思議ルールーが多い)が作られ、非合理な運営が行われても、その運営が社会的なバランスが取れているかどうかなどといった想像が出来ない。彼らが外部とみなしている人から何を言われても、自分達の考えを変えることはしない。典型的な思考停止状態。

一方で儲かれば何でもいいと考える人達。彼らは事業の意義など考えることはない。やまゆり園はもしかすると設立に関わった人たちが入れ替わってしまっている可能性もあるんじないかと思いつつ、そっち系の経営者は行政(つまり税金)から得られる金を当てにした経営に魅力を感じてたり、経費をできるだけかけずに楽して儲ける的な発想で施設運営をしがち(に見える人がいる)。
彼らには儲ける以外の経営指針がなく、物事を数字だけで把握しようとするので、残念なことだけど、財務状況改善のためとか言って、経費を削減するような運営をむしろ好む(法令は守るけど、何とかして利益を最大化したいと考える)傾向がある。結果として職場の士気が下がりサービスのレベルも低下…。

やまゆり園の現場を知らないのでこんな単純な構図ではないことは理解しているつもりだけど、何故今回のような事件を起こしてしまうほど状況が悪くなってしまったのかって要因の一つにどちらかの陣営による影響はあったんじゃないかと思う。

でもね、福祉は難しいよね。当事者性と合わせて考えないと、それこそ外部からは何でも言えちゃう、ってなりそうだし…。なんかもやったままだけど、考え続けるってことで。引き続き。

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