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夕方、マスターと一緒にモンテネグロ領事館へ行った帰り、喫茶店に入ってこれからの仕事の打ち合わせ。途中、引っかかったのがこの言葉。
人がすることの殆どは思い通りには行かないけれど、思い通りになろうがなるまいが、思いが先にないと何も始まらないってこと。
本当にその通りだ。
ここ数ヶ月、これまでの仕事の見直しと組み換えをしてきたけど、言葉にして人に説明できることの重要性を嫌ってほど思い知らされた。どんなにすごいことをしていても、言葉にしてきちんと伝えないと気が付いてもらえない。
何かをするときに、自分で明確に意図してやらないことは、ただ何かをしてるだけ。その意図を言葉にして、人にも伝えられる思いに変えないと、思い通りはままならないってことだ。
思いがあればそれを人に伝えて意見を聞かせてもらうこともできるし、共感が得られれば助けてもらうこともできるかもしれない。でも、それが形になっていないとスタート地点が定まらないね。
人生は思い通りにはならないっていう言葉をよく聞くけど、そもそもその人生は思いのある人生かってことをきちんと考えないと。その上でやっぱりその思いを言葉にすべきだよね。ただ生きるな、善く生きよ、といったところで「善い」という言葉の自分なりの定義が必要で、それがあって初めて、思いのある生き方になるんだと思った。

メメント・モリ
死ぬ時に思い通りの人生だったと思える自信はないけど、思いのない人生だったというのは嫌だな。せめて、全く良い人生だった!って思えるくらいにはしたい。

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