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1年くらい前、大学の先輩二人が開催したイベントの第二弾 半径1mのドキュメンタリー特別上映会 第2弾 があったので、今回も行ってきた。
メインは神戸さんの作ったラジオ番組と同じテーマを別な切り口から再構成したテレビ番組の視聴。今回はトーク少なめ(笑)
ラジオとテレビのメディア特性については、メインのテーマじゃないけど、この先自分でやろうと思っていることに対する示唆が詰まっていてとても参考になった。
ラジオって普段はあまり聞かないけど、両方の視聴を通して感じたことは、僕は割と一つのことをじっくり考えたいんだなってことと、そういう場合はラジオで情報をインプットするほうが良いのかもしれないってことだった。テレビはどうしても散漫になりがちなのだと思う。あー、これはメディアの特性上ね。そして、Youtube的な動画ではもっと散漫なことが起こるんじゃないかって気もした。

メインのテーマは多様な社会とどう向き合うか、じゃないかと僕は思っているんだけど、やまゆり園の植松被告との面会を通じて、人間の持つ不寛容な心の一面を顕在化させ、その向き合い方を考えるってことかなと感じた。

で、トークも含めたイベントの感想。

神戸さんは植松被告によく会いに行ったなっていうのがまず思ったこと。「わたしは思うのです…」を書いたときから神戸さんは既に植松被告の思考の対象という意味で事件当事者に含まれるんじゃないかと僕には思われ、それを押して(じゃないかもしれないけど)ジャーナリストとして相対して行くっていうのがすごい(陳腐な表現だけど)と思った。

不寛容と想像力の欠如から生まれる憎悪については、もしかしたら、これは時代に関わらずずっと存在していたんじゃないかって思った。単にいろいろな環境が整ったために平成以降、顕在化することが多くなってきただけじゃないかって。だとしたら、情報の溢れる今だからこそ、想像力を働かせられるような情報の集め方について考えられるんじゃないかとも思った。

テレビの番組中(だったかな)で、神戸さんが、「世の中には障害者とまだ障害者になっていない二種類の人間しか存在しないのではないか」って言った言葉が心に残った。

ラジオが印象的だったのは、神戸さんの息子さんが二十歳を迎えて楽しみに待っていたビールを飲むシーン。なんか、これは目の前に情景が思い浮かぶようで非常に良かった。ラジオ良いね。

あと、質疑から展開した仕事に関係する話が一つあって、これは絶対忘れないようにしようと思ったこと。それは、やまゆり園自体の経緯、設立当初は光に満ちた希望の施設だったはずなのに、事件の起こったやまゆり園は、施設を利用している人達のためには、職員が誰も何もしない、療育の行われないただの入れ物になってしまっていたって話。これは、また別の記事で書こう。けど、本当に福祉って何だろうって考えさせられる話だった。

三回目があるかわからないけど、沢山の人に聞いてもらいたい内容だったので、忘れないように書いておく。
あ、忘れないようにといえば、イントレランスのDVD買おう。

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