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上海浦東空港の出発ロビーで以前作ったサイトの修正と新しいサイトのドメイン設定などをして時間を過した。
今年に入ってから3回めの上海。ほぼ毎月行ったり来たりするなんて、数年前まで考えたこともなかった。
今の上海出張はLCCを使えば、宿泊費を入れると大阪出張とほぼ同額。むしろ、安いかも。大阪行くと食費がかさむし(苦笑)。

これまで広げてきた仕事を少し整理して、次に備える必要を少し感じてる。
どうやって整理したら良いか...やりたいことはたくさんあるのに、きちんとできることはきっと少ない。時間を増やせないなら自分の処理能力を上げるしかないんだけど、中々急には難しい。

出発前、雨が降る空港を飛行機の小さな窓からぼーっと眺めながら、とりとめもなく心に浮かんでくるものを掴んだり放したりして、離陸前の時間をやり過ごす。雨の空港は少し感傷的な気分になる。
でも、離陸直前の疾走感や、雲の上の爽快感はきっといつも通りで、飛行機が動き出すとわくわくしてくる。
エンジンの音が甲高くなって、身体に重力がかかる。雨が窓ガラスを真横に走る。水滴はだんだんと細かくなって、雲の上に出るまでには全て消えていた。
今、雲の上を飛んでる。空に国境は見えないけど、国を越えるとそれまでの気持ちを切り替えて着陸した後のことに考えが行くから不思議。

そういえば、社会人になって初めて大阪に出張した時のことを思い出した。日帰りで、ほぼ始発に乗り、終電で帰宅した初出張。
疲れたけど、いつもと違う場所で働けて嬉しかった。

今回の出張では、上海にいる義兄と昔話を沢山した。
彼は十数年前に役者として、作家として、四国から上海へ渡った。その後、上海で暮らすために幾つかのことを手放して、幾つかのことを新しく手に入れた。
僕が彼と出会ったのは、彼が色々なものを手放す前に、何かを手に入れようとしていた時期だったはず。僕は、自分が何を手に入れたいのか分からないまま、彼と手を組んで仕事を始めた。それから7年が過ぎて、僕たちはその当時持っていたものをほとんど手放して、新しく手に入れた物を磨いたり、増やしたりし始めてる。
酔うとあの頃の貧しかった記憶を思い出して話したがる義兄を、なだめたり叱ったりして、でも最後はいつも前を向いて家に帰る。
あの頃の記憶は僕にとって澱みたいなもので、できるだけ触れたくない。でも、あの頃が有って今があるのだと、義兄の話を聞きながらそう思っていた。
「あの頃は本当に大変だったよな!」と嬉しそうに話す彼は、きっと澱を吐き出して前に進むために話しているんだと思う。その話をするたびに、瓶の底に溜まった澱が少しずつ上澄みを濁らせながら外に出ていくのだと思う。そして、翌日二日酔いが収まる頃に、澱もまた瓶の底に沈む。繰り返し繰り返し。そのうちに澱は全て無くなるのだろうかと考えて、無くなったら良いなと思った。
辛苦了、お疲れ様という意味だけど、僕には、辛くて苦しかったね、でももう大丈夫、って見える。

極端に楽観的な気分にはもうならない。落とし穴とは思わないけど、ふとしたことで見えていた潮目が変わることは痛いほど学んだ。変わる潮目は戻せない。飛行機の上から見ると、反射する海には沢山の模様が見えるけど、自分が海にいる時にその違いを見極めることはできない。漁師が潮目を見極めるように、仕事の潮目、潮時をできるだけ感じられるようになりたい。変えることができないなら変わる前に自分を変えるしかないから。
10年。10年間で沢山のことが変わってしまう。逆に考えれば、10年間でいくらでも人は変われるってこと。本当は一瞬で変われるけどね。だから何度も変われる。

今、顔をあげたら海に島が見えた。もうすぐ陸も見えるはず。あっという間に日本。

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