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コンビニ飯を否定しない。おにぎりはよく食べてたし、今は色々なものがあまり入ってない惣菜なんかがあるのも知ってるから。けど、今はもう食べない。子供が生まれたからもある。一日一食にしたからっていうのも、その一食をただ腹を満たすために食べるのはもったいないというのもある。けど、一番の理由は、自分で材料を選んで調理方法を考えて家で作るのが一番美味しいものを食べられるはずだって思うようになったから。まして、同じレベルの食材を使うなら一番安く食べられるはず。当たり前だよね?

でも、お金がないと一見安く見える弁当や惣菜に惹かれがちになるのは分かる。だって細かいお金でそこそこの種類のものが食べられると思っちゃうからね。

以前、生活保護のお金が引き下げになることに抗議していた人がテレビで取材を受けてたけど、テーブルにはスーパーやコンビニの惣菜が山盛りになってた。その状況に心から同情する。惣菜を買うなんて贅沢だ、というような批判も浴びてたようだけど、多分逆だ。本人たちは素材を買ってくるなんて贅沢だと考えていると思う。例えば、豚肉の野菜炒めを作ろうとしたら、まぁ、初期コストは1000円くらいかな、でもそうすれば明日も使い回せる材料が残るはずだし、後は米を炊けば良いわけなんだけど、その1000円よりも500円の弁当が安いと思っちゃうんじゃないかな。もっというと、米を買ってそれを炊くにはさらに1000~2000円のコストがかかるように見えるんじゃないかな。本当は違うんだけど。

そういう立場に立たされると、とにかく目の前のお金が大事になっちゃうんじゃないかって気がする。そして貧しさは想像力を奪う。明日のことより今日で精一杯になっちゃったらその場で払うお金が安いと感じるものにお金を使っちゃうんじゃないだろうか。それは自分で自分の食べるものの価値が決められないってことだ。

僕は料理が好きだったので弁当や惣菜を買って飢えを凌いだことはないけど、これを書いていて同じような記憶が蘇ってきた。何かというと、現金仕事の作業に時間の多くを割いてしまった時期の記憶。生活のためだと思って目の前にある時間単価の低い仕事を優先した。その選択をしている時期は辛かったし今考えたら勿体無い時間の使い方をしてしまった。でも、それ以外の選択を思いつかなかった。どうしたらそこから抜け出せるのか、考えることができなかった。

想像すること、或いは常に考え続けることは自分の身を守ることに必ずつながる。今がやっていることを常に考え直すこと。より良くするにはどうしたらいいかって気持ちを持ち続けられるようにしようと思った。

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