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WDRACで監事をしている星です。
WDRACのアドベントカレンダーを今日、12月3日と5日、12日の3日を担当します(今のところ)。
3回ともにウクライナに行ってきた話を書くつもりでいます。というか、これから書くのですが。
初回の今日は「ウクライナの戦争と日常について」です。
ウクライナには今年の2月、WDRACのメンバーと一緒に、さらに、8月の終わりから9月の半ばにかけて、日本からは一人で行ってきました。
どちらの渡宇も、現地ではActions Beyond WordsというWDRACが支援しているアンサングヒーロー達にお世話になりました。
彼らと一緒に活動した中で一番印象深かったことが、ウクライナの今、戦争と日常でした。日本で僕がイメージしていたものとは全く違ったウクライナのことについて書いてみます。



ウクライナに滞在している間、何度もミサイルの警報を聞いた。
初めて聞いたのはリビウ近くの、大きなスーパーマーケットで買い物をしている最中のことだった。
初めて聞くミサイル警報は現実味が薄いというか、危険なんだということがうまく理解できない状態だった。
多分これは警報だろうなってことと、買い物客が少しだけ足早にレジに向かって会計を済ますのをぼんやり見ていた気がする。
もしかしたら、誰も急いでなんかいなかったかもしれない。

2回目のウクライナ滞在では、ロシアに少し近い場所にも行ったので、何度も警報のサイレンを聞くことになった。
今回はそのサイレンの意味が現実のこととして理解できるようになったので、鳴ると少しだけ緊張したけれど、街の人たちはやっぱりあまり慌てることもなく普段通り。サイレンの響く中、買い物やレストラン食事をしたり、誰かと話をしたり手を繋いで歩いたりといったことをしているのを目にすると、なんとも言えない気持ち(多分、少し混乱するのだと思う)になる。
ポルタヴァで夜写真を撮っていた時も、2度サイレンが鳴ったけれど、誰も特別な行動を取る人はいなくて、お店は普通に賑わっているし、サイレンの中ゆったりと犬を散歩させている家族も見かけた。
普通の生活。
もちろん、安全な場所での活動なので当たり前なのかもしれないけれど、昭和生まれの日本人の僕が想像するような戦禍の街は、ウクライナにはどこにもなかった。
eSIMがあるので本当に簡単に手軽に準備ができて、ネットも電話も全く不自由なく使えた。
スーパーでも飲食店でもショッピングモールでも物は豊富にあり、値段もとても安い。
市場のようなところも見てきたけれど、本当に安価できちんとしたものが買える。怪しそうな雰囲気や、いかにもバッタ物が売っているという店は全くなく、普通のものが普通に買える。
電力が安定しない地域で1週間過ごしたことがあったのだけど、停電になるとエアコンがつかないのはちょっときつい、夜充電できないのが困る。洗濯もできないしシャワーも浴びられなくて不便だなと思ったけれど、暮らしている人たちは不便な思いはしつつも、それを受け入れた日常生活を送っているように見えた。
安全な地域から戦争を想像するのは少し難しいというか、それくらい普通の生活を送っているように感じられた。

けれど、ロシアから直接攻撃を受けている場所はニュースの通り大変なことが起きている。
ポルタヴァから車で1時間半くらい(例えば東京からだと北は日光、西は静岡駅くらいの距離)のハルキウでは、街中いたるところでミサイルの被害を受けて崩れたままのビルや学校、ショッピングモールなどを目にした。
そこで暮らしている多くの人が居るのに。
ハルキウやリビウで傷痍軍人の受け入れ、リハビリを行なっている病院の医師やスタッフからは、毎日戦場から多くの人が運ばれてくるという話を聞いた。

路面電車やトローリーバスなどの公共交通機関の運転士に女性がとても多い。
教会と共に見かけた多くの墓地には国旗が掲げられている墓碑がかなりの割合で混じっている。
街(大きな街も小さな街も)の公園には戦争で亡くなった人たちの遺影が掲げられている。
大きな街の入口には軍の検問がある。

やっぱり戦争は暮らしている場所のすぐ近くにあって、日々沢山の人が亡くなったり傷ついたりしているのは本当なんだと気付かされる。
戦争と日常が隣り合わせにあるのがウクライナの現状なんだと実感した旅だった。



ロシアがウクライナに侵攻してから既に1000日以上となりました。本当は戦争が終わった後の復興に是非とも寄与したいのですが、なかなか終わりが見えない状況です。
そのような状況下でウクライナの人達を支援しているアンサングヒーロー達を是非知ってください。
WDRACは彼らのような、支援する人を支援する団体です。

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