20190220_大学教授のインタビュー撮影が役得すぎ
マスターの仕事の手伝いで、大学教授のインタビュー撮影をしているのだけど、これがもう、とても面白い。
そもそもマスターの話はいつも面白いのだけど、マスターから投げかけられた言葉を打ち返してくる教授陣の話が的確かつ広がりのある内容なので、撮影していて本当に楽しい。
そもそも僕一人でしている仕事では、こんな人たちに会いに行けないから、それだけでも役得なのに、こんな話を毎回聞けるなんてどれだけラッキーかって話。
書いてて気がついたけど、これがお金は別にしても(といっても、きちんと相応の報酬はある)やりたい仕事だな。今後、こういう仕事の指針になるから覚えておくようにする。こういう仕事以外はきちんとお金をもらうこと。
システムの仕事も手放していこうと思った。そこは、僕の領域じゃなくていいや。
話が逸れたけど、教授陣の話を聞いていると教養はやっぱり大事だと実感する。専門領域に特化する前に、自分の引き出しの種類を増やしておくこと。或いは、専門領域は社会に出てからでも良いくらい、まずはジェネラリストを目指すくらいの勢いで様々な知恵に触れる勉強をしても良いくらい。そう、専門的な分野でも知識や実例を元に処理するような仕事は全てAIに任せる時代が来るから。人はどれだけ豊かな発想をできるかという軸にシフトするに違いないと改めて考えた次第です。頑張らないと。
今日の課題:○に|はなぜ木に見えるのか
人は何でも抽象化して理解しようとする
もしかすると全てを克明に記憶しようとすると脳がパンクするからでは?
例えば、何かの目印になっている木は細かく覚えららても、それ以外の木はやっぱり○|程度、或いは単に木という言葉に置き換えて記憶する。
シンプルな線で表現されたものは、人がそのように見たいという欲求を反映するのでは?
常に幹の上にはを茂らせているのが抽象度の少し上がった木のイメージだとしたら、最大限抽象化したイメージが○|ってことじゃないか。