20220218_勉強の価値を理解することの難しさについて
さらに難しいと思うのが、「なぜ勉強が必要なのか」が分かるのは勉強してからずいぶん時間が経ってから、というところで、学校で勉強したらすぐに何かの役に立つわけではない。
大人になって「何も勉強していなかったら大変なことになっていた」と過去を振り返る時、心底勉強の大切さを知る。— 外科医けいゆう (山本健人, Takehito Yamamoto) (@keiyou30) February 17, 2022
まさにその通りで、我々凡人はどちらかと言うと、大人になってから、もしあの時勉強をしていなかったら…(怖)ということが多い気がする。
ただ、それと同時に、こういうことを勉強するなら今からやっても楽しいし、続けられる!と思えるのも経験を重ねたことで気付くことができたのではないかという気もする(経験から知り得たことを更に知りたいと思えるようになった結果)。
子供の頃は勉強が嫌いだった。机の前に座っていることが苦しかっただけでなく、やっぱりその価値が理解できなかったのが原因だったのではないかと思う。
僕にとって勉強は大人に叱られないためにする苦行みたいなものだった。
幸いなことに小学5年生の頃に読んだ本をきっかけに読書だけは楽しく続けられたので、なんとか一般的な知識くらいは理解できる大人になれたのではないか。
今でも何かを調べたり勉強(?)したりするためには、まず本を読むくらい。
積ん読も多いけど(苦笑)
ということは、つまり、勉強はいくつになっても本人がやりたいって思えばいつでもできるってことなんだよね。そして、おとなになってからの勉強が楽しいと思えるのはその価値が理解できるような経験を少なからず積んでいるから。
そうかー。ムスメにこれを理解してもらうためにどうしたら良いかを今度は勉強するか(笑)