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少し前の話なんだけど、ホームページの文章に子供と書いてあったものに対して、供は差別用語に当たるので子どもとするべきじゃないかという意見が有った。
はぁ?差別用語なの?
調べてみるとある一定のカテゴリでそういった話が出ていることが分かった。
というか、これ、ムスメが小学校の頃にも一部で言われていて、(ムスメの学校ではないけど)国語の先生をしている知り合いの人がものすごい怒っていたことを思い出した。
差別用語陣営は、
・供の字の意味はお供から来ており、子供が親の所有物を連想させる(飛躍した連想w)から
・供という時は神様に捧げる供え物だから不謹慎(誰に?)
・供は当て字なのだからひらがなにすべき(当て字のままで良いのでは?)
というものが多いらしい。
日本語大辞典によると、もともと子等 > 子共 > 子供という変遷を辿った言葉らしい。
子共と書いていたものを子供に書き換えたっぽい。
僕が大好きな常用字解では共の字を『両手にそれぞれ物を持って捧げている形…中略…供(ささげる、そなえる)のもとの字』、『共には「ともに、とも」という意味もある』とある。
供の字は『共は供と音・意味は同じ』『お供のように用いるのは、供を伴の意味に誤って使用したもの』とされている。
って、ことは、やっぱりお供じゃないじゃん。
あと、神様への捧げ物という意味では、僕は子供は預かり物だと思っているのでなんの違和感もないね。むしろ、神様に捧げるってところの解釈の違いじゃないのって感じ。
国としてのスタンスはこの
質問答弁で明らかにされている通り子供です。
まぁ、嫌なんだよね。子ども的な表現が。
あと、もっとイラっとするのは「子ども達」こういう書き方はなんのためにしてるのかね。
そもそも子供の言葉の成り立ちを知ってたら、子供は単数でも使うけど複数なんじゃないの?だって、子等でしょ?
ま、どうでもいいことなのかもしれないけど、なんか差別とか言ってる人たちのその感覚が差別的で気持ち悪い。
勝手に子どもとか使ってるのはいいけど、それをこっちに押し付けるのはやめてもらいたい。

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