20190726_自由で良いんだと言われて自由の正解を求めるっていう
サラサラと簡単な絵を描くスキルを習いに行ってもうそろそろ一ヶ月。全然慣れては来なくて一向にサラサラ描けそうもない。むしろ、昔ムスメが描いてくれた手紙に添えられてる、ちょっとした可愛らしい絵を見て意気消沈(苦笑)なかなか簡単に出来ない。まぁね、先生も言ってたけど、練習あるのみ。最初はうまくいかなくても良いんだって。○を書いてそこに目と口を書いて表情を作るところから。例えばにっこり、例えばがっかり、例えば激怒とか、で、なれてきたら少しずつアレンジして少しずつ詳しく書き込んでいく…なんだか自転車と同じだね。乗り始める前にかなりの痛みを伴う一定期間の練習が必要(苦笑)そんなことを書いたら、ムスメが自転車の練習をしていたときのことを思い出した。転んじゃったとき「いたーい」って泣くから、今日は終わりにする?って聞いたら「痛いけど、終わりにしないー。だってー、もう少しだからー(号泣)」って。そうだよね。その先にやりたいことがあれば頑張れるんだよ!
…まぁ、ここまではいいや、問題はね、やっぱり、ムスメの絵を見て気がついたんだけど、彼女は自由に描いてるんだよね。こういうふうに書かなきゃってあまり考えてない。だから先も迷いがないし、まして書き直した線が無い。なんか、そこが違うんだなと思った。自由に書いていいと言われると、何が自由なのかって考えちゃうんだよね。だから、自由に絵を描かなきゃいけないって思っちゃう。自由って一体何だ!?って感じ。本末転倒だけど、自由に描きましょうって言われて、自由に描かなくちゃって良く分からないままに自由の正解を求める(苦笑)それって全然自由じゃないね。正に、自由って一体何だ?だよね。
僕ら世代の呪縛かもしれないけど、何でも正解が欲しくなっちゃうんだよね。ちゃんと描けないといけないなんて、そんなな話はちっとも出てないのに、ちゃんと絵が描けないからこの課題をうまくこなせてないし、全然ゴールにたどり着けないって思ったりとか…けど、きっと目的はシンプルで、会議のメモを分かりやすく、できれば楽しそうに。のはず。分かりやすくって観点でいえば絵にばかりこだわらなくて良いんじゃないの?っていうのが今日気がついたこと。まとめる、っていうのが大事だって決めれば、だらだら文章を書かずに、要素を抽出してまとめるってことだって進歩なはずで、絵心がないと気後れしたりする必要はなくて、それこそ自由にやれば良いんじゃないか。
というまぁ、言ってみれば勇気の自家発電的な半ばやっぱちの週末の夜です。当然飲んでます。そして、もう寝る。