20191121_タニダさんが亡くなった
メメント・モリ。
どれくらいだろう。10年くらい仕事を一緒にしてきたタニダさんが亡くなった。一昨年くらいからは仕事というよりコーチをお願いしてたタニダさん。
難病で肝臓を悪くしてたのだけど、もうすぐ移植する予定だったんだって…非常に残念。具合が悪いのは知っていたので、悲しいとかそういうのはもうあまりない(無いかどうかわからない。混乱してるだけなのかも)けど、とにかくあの知識というか、知見が永遠に失われてしまったのは本当に残念。勿体ない…ってだけじゃないな。もう少し色々話ができてれば良かったのかなぁ。今となっては叶わないし、考えても仕方がないことかもしれないけど。
カミさんと一緒に代々幡斎場へ。暖かい午後。あー、この辺りは、去年研修の時にあまりに遠すぎて泊まったホテルの近くだよとか話しながら幡ヶ谷駅から歩く。なんか、現実感がなさすぎ。
斎場に着いたのにお葬式があるわけではないので、何となく同じグループらしき人の近くで時間が来るのを待つ。教えられていた時間を少し過ぎて、係の人に案内されて向かったのは火葬する場所だった。代々幡斎場は何度か来ているので、案内されながらそこ??って思ってたのに、そこだった。初めて会うタニダさんのお兄さんとお姉さん。こんな形で始めましては少し寂しいね。お別れ会だと聞いていたのに、本当にお別れの場所に立ち会うことになって、良かったけど戸惑うね。棺に花を入れて、蓋がされて火葬炉の扉が閉まって、焼香をしてもなお、現実感がない。
斎場の日常だと思うけど、この日も沢山の方が亡くなっていて、お別れのスペースにも次から次に人が出入りしてた。僕たちの時間の中では、タニダさんの見送りが一番多くて良かったなと思いながら、やっぱり現実感がない。
次の予定があったので、収骨まで居られなかったのだけど、現実感がないまま一人で斎場を出た。暖かい日で良かった。
代々木に出るとムスメが生まれる前後にカミさんを連れて行ってた整体の先生の近くに出た。とても懐かしいのと、過ぎた時間に軽く驚く。あの頃僕は何してたんだっけ?
年を取るってことは、自分が持ってたつもりだった様々なものが自分の手から溢れていくことかもしれない。そういえば、あの人もこの人も、昔通ってた店や場所…過去にしがみついてたらどんどん減っていくいっぽうだね。インプットを続ける意味はここにもあるんだなと思いながら改札を抜ける。
千代田線に乗って地下に入ったとき、あー、タニダさんもう居ないんだって少しだけ実感した。本当に残念。
これから仕事で迷う局面があったら、こんなときタニダさんなら何と言うかを考えるってことを忘れないようにしようと思った。本当に残念。