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夏休みの宿題の一環で教会のミサ(?)にいかなければならないらしく、朝からムスメはバスで学校の推薦教会(??)に向かってでかけて行った。東京の学校だから当たり前だけど、推薦教会は都内ばかりだったので、夏休み前にちゃんと引っ越しできてよかったなって思いながら見送りつつ、僕が子供の頃通ってた寺には、引越し前に一度しか行かなかったなと思って、若干残念だ気持ちになった。今思えば、月に一度の坐禅会は中々良い会だったし、今となってみれば禅についても少しだけど理解できるようになってきたので、より楽しく法話を聞くことができたんじゃないかと思うと勿体なかったなと朝から少ししょんぼりしながら洗濯物を一人で干した(苦笑)
僕は信仰心がそれほどあるわけではないけれど、何か人間を超える知恵のようなもの、あるいは、何世代もの人たちが改善しながら作り上げてきた知恵のようなものは大事にすべきだと考えてる。だから、近所の神社には時々お参りに行くし、子供の頃お世話になったお寺の宗派には親近感を覚えるし、ムスメが通う学校でも儀礼的なことは親としても大事にしてきたつもり。
もちろん、何かに頼らず自分を律しつつ自立して行きていけるのが理想なのだけど、その軸になるものは様々で、その中にバランス良くいろいろな宗教のそれこそ哲学的な要素が入ってくるというのは、良いことではないかなと思うんだよね。
例えばちょっとしたことなのだけど、僕が僕になったのはその寺で教えてもらった禅宗の教え「あるがまま」を僕なりに咀嚼できて自分のものにできたからっていうのがあったりするし、ムスメを育てるときの軸になっていたことはキリスト教の「子供は神様からの預かりもの」という考え方がしっくり来たからだったりする。そういう意味では、様々な宗教に触れられる日本って結構面白くて恵まれてて、かつ、平和な国なんだなって。今更だけど(笑)
寺ね、父に連れられていやいや通ってたね。当時はつまらなかったし(まぁ、大人だけの会に小学生一人だったし)、ちっとも良いと思えなかった(殆どの話は細かいことまで理解できなかった)けど、いま思えば本当に贅沢な環境だった。都内の坐禅会探してどこか行ってこようかなって、なんかムスメの宿題に便乗するみたいで、だったら教会も行って来いよって感じだけど、そうだな。坐禅会も教会も、あとせっかくだからモスクも行ってみよう。
日曜は宗教に浸る月間を設定するか。

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