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勉強は子供の頃はもちろん、大人になってからも本当に大切なこと。
ただ、大人になるに連れ、何から学ぶかで楽しさは大きく違うことが分かってきた。
単なる遊びだと思っていたことから、貴重な気づきを得られることも沢山体験した。
体験から学ぶ場合、読んだり教わったりして学ぶことと違って、一瞬で理解できることが多く、インパクトも大きく感じる。

まぁ、楽しいからね。そんな中から、今僕が大事にしていることに気がついた体験を幾つか書き出してみる。

まずは、釣り。
大学生の頃から始めて、大阪に行くくらいまでやっていた気がする。随分道具も揃えて、かなり本気でやってた。子供の頃のウキ釣りではなく、ルアーから始めて、フライに転向。結局10年以上続けたかも。
もし今も時間とアシがあるなら釣りに行きたい。
【釣りから学んだ教訓】

  1. 魚がいない場所で釣っていても釣れない
    渓流を釣り上がっていく時、慣れてくれば魚のいそうな場所はすぐに分かるので、効率よく釣れるスポットを回れるようになる。でも、慣れてない人はいつまでも魚のいない場所に留まり、一つのポイントで多くの時間を使う。
    魚釣りの基本は魚を釣ることで、ポイントにキャストすることじゃない。
    魚が居ないポイントにいくらルアーやフライを投げ込んでも、釣れないという理屈は恐らく全ての釣り人が分かっているはずなのに、それでも同じ場所へ長時間キャストを続ける人がいる。でもね、そこではずっと釣れないよ。だって、そこには魚が居ないから…。
    仕事も一緒で、仕事になる場所へ自分を持っていかないと良い仕事は掴めない。あるいは人のいる場所で店を開かないとどんなに良いものを売っても売れない。実店舗もそうだけど、これ、ネットも一緒。まずは、客のいる場所で仕事をすること。細かいテクニックはその次だ。
    そして、これを書きながら今、思い至ったのだけど、魚が居ない場所をスルーできるのはキャストや自分なりのアプローチに自信が持てていたからだった。経験と自信も大事なんだな。
  2. 良い場所には力が一番強い魚がいる
    これは、自分がどの場所に居るべきかを知ることにも役立つし、アプローチする際にどこから始めるかを考えるときにも役に立ってる。因みに、一番力が強い魚を釣り上げると、その魚が居なくなった良い場所には、次に力が強い魚がつく。
  3. 川は常に流れている
    自分の前を過ぎた流れを思っても無駄ってこと。
    その瞬間はもう帰ってこないし、過去のことを考え続けてもどうもしようがない。反省しなくていいということではなくて、振り返りと反省、次のプランを練ることは当たり前のこと。ただ、反省してそこで何かを得たら、流れに任せて、その事自体は忘れてい良いように思う。考えても同じ流れは二度と来ない。似たような流れがきた次の時こそ、前回の教訓を活かすチャンスだと思ってる。
  4. 川に行かないと魚は釣れない。
    どんなにうまくキャストできるようになろうが、どんなに綺麗なフライを作れるようになろうが、川に行ってフライを投げなければ魚は釣れないし、魚は人間が見てきれいな巻き方のフライだけを食うわけではない。とにかくやること。川に出て糸を垂らす。

次はバイク。
バイクに乗れたおかげで僕の人生はものすごく豊かになった。最初は釣りに行く時のアシとしてバイクに乗りたいと思ってたのだけど、それだけじゃなかったし、それどころじゃないくらい大事なことをバイクからは学んだ。また、大学時代に始まって、就職の時、社会人になってから、大阪に行った時もバイクのお陰で沢山の人に出会うことが出来たし、今もその当時の人達に助けてもらうことが多い。バイクに乗ることが出来て本当に良かった。
【バイクから学んだ教訓】

  1. ほんのちょっとの勇気でコーナーはきちんと曲がれるようになる。
    乗り始めの頃、それなりのスピードでコーナーに突っ込んでいくのはとても怖かった。僕のバイクに対するイメージは峠を攻めるというより、まっすぐな道をどこまでも走っていく、というものだったので、高速道路は大好きだったけど、川に入る前の峠道は大嫌いだった。些細な不安感がバイクの安定を奪い大ブレーキになって、ちっとも速くないし(速い必要はないんだけど)、面白くなかった。
    でも、ある時、ちょっとしたコツを掴むとそれまでと違って、安定してそれなりのスピードでコーナーを曲がれるようになった。その時必要だったのはほんの少しの勇気と、多分転ばないだろというバイクに対する信頼のようなもの。
    ある程度経験を積んだら、自分と道具を信じることは必要ってことだと思う。
  2. 過大な自信は死に直結。
    本当に死ぬ直前まで行った時、僕は酔って首都高をバイクで走っていた。当時は飲酒運転に対して過度に寛容な時代だった。僕もこの事故がなければその後も飲酒運転をしていただろうし、誰かを巻き込んでしまったかもしれないと思うと本当に怖くなった。それは、自分の身に起こってみないと分からないもので、分かったときにはだいぶ取り戻すのが大変な状態だったりする。自信を持つのは大事だけど、過度の自信は命取り。いつも謙虚でいること。

写真もずいぶん長く続けた。今でも撮るし、時々仕事になったりするので人生って不思議。始めた当初は父に撮り方を教えてもらった。今でも撮った写真を見てもらったりしているのだけど、今となっては、酒以外にも親子で共有できる趣味が出来たのも良かった。
【カメラから学んだ教訓】

  1. 物事の見え方はいつも相対的
    そんなカメラから学んだことは、物事は自分の立ち位置で全く違って見えるということ。
    で、景色を変えるためには、自分が動くのが一番手っ取り早いということ。例えば、都庁ごしに凄い夕焼けの富士山を撮ろうと思ったら、夕日の位置と富士山の位置と都庁の位置が一番バランスよく見える位置に自分が行く、ってこと。どれも動かせないこういうケースはなおさら。仕事も同じで、自分を様々な立ち位置に置いて、色々な角度から物事を見てみること。そして、まずは自分が動くこと。
  2. ぼかしの効果について
    全部ぱきっと見えることだけが大事ではない。
    ぼかしの効いた写真は割りと好きで、特に人物とかで意識したりするのだけど、フォーカスを絞った時、人は見たいところしか見ていない。だから、目で見ているのと写真の風景が異なる場合が多々ある。ファインダーからは邪魔になるものが見えなかったけど、写真にバッチリ写っていたりって結構あると思うのだけど、例えば電線、道路のゴミとか。人は自分が見たい風景しか見えない。だから様々な視点を意図的に作って見えないものを見る努力が必要。

最後に最近始めた遊び、サーフィン。何故か分からないけど、この年になって急に始めることに(笑)前にも書いたけど、きっかけは本当に些細な事なので、あれは、きっとチャンスの神様の前髪を本当に上手く掴めた瞬間だったのだろうと思う。
【サーフィンから学んだこと】

  1. 波がいつも同じ勢いで来ることはない。
    それと良い波はある程度固まってやってくる。これ、海に入っている人達からしたら常識なのかもしれないと、その時思ったのだけど、海岸から漫然と波を見ているときには全く気が付かなかったので、とても新鮮だった。「海すげー」と思った。砂浜では常に同じようなタイミングで海が寄せて返しているように見えたのに、波が来るときと来ない時にはもっと大きな波(周期)があって、波が来ない時間がけっこう沢山あった。
    多分、人生のタイミングもきっとそう。
  2. そして、波が来なくなることは決してないということ。

そう、自己弁護するわけではなく、お父さんは勉強をしているんだよ。娘よ。
サーフィンもお父さんが立てるようになったら一緒に行こう(苦笑)

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